
「今、なに考えて建築つくってる?」は、建築家の村山徹と杉山幸一郎によるリレー形式のエッセイ連載です。彼ら自身が、切実に向き合っている問題や、実践者だからこその気づきや思考を読者の皆さんと共有したいと思い企画されました。この企画のはじまりや趣旨については第0回「イントロダクション」にて紹介しています。今まさに建築人生の真っただ中にいる二人の紡ぐ言葉を通して、改めてこの時代に建築に取り組むという事を再考して頂ければ幸いです。
(アーキテクチャーフォト編集部)
第6回 参照すること、その先にあるもの。
こんにちは。杉山幸一郎です。
前回の村山さんのエッセイから、こちらも一年ほど時間が経ってしまいました。言い訳をして良いのであれば、それは今回のテーマ「リファレンスと歴史」につきます。
歴史をとりわけ専門としていない僕にとって、もう一度「リファレンスとは?歴史とは?」と考え直す機会になったものの、そのぶん非常に書き始めづらいテーマでした。なんだか村山さんのテーマの方がいつも書きやすそうだな。と思ってしまうのは、「隣の芝生は青い」ってことでしょうか(笑)。(交換してもらおうかな)
と、まずは村山さんの前回の仕上げの話を聞いて考えたことを綴ります。
いろんな仕上げについての定義、そして村山さんのご自邸「オーバーホールインヨコハマ」で実践した「本仕上げ(本物の素材を使った本当の仕上げ)」という言葉を読んでいで、とても興味深く思いました。
2025年秋学期から、クール市にあるグラウビュンデン州立の応用科学大学(Fachhochschule Graubuenden)で一年生の設計スタジオを持つことになり、そこで学生たちと話しながら「仕上げとは何なのだろう」と考えていたところです。
2021年から2025年まで教えていたETH(スイス連邦工科大学)では、Deplazes(デプラツェス)教授のもとで設計を教えていましたが、そこでは高校を出たばかりの、建築を学び始めたばかりの生徒が大半でした。一方で今期からスタジオを持った大学では初学期ながら、約半数の生徒がすでにドラフトマン(Hochbauzeichner)としての教育・実務を3年間受けている有資格者です。
スイスでは、中規模の事務所なら大抵ドラフトマンがいて、彼らはメインで実施図面を描いていくエキスパートです。そんな教育を受けた学生だから、素材の使い方も図面への落とし方もゼロからスタートした学生よりも知識がありますが、仕上げとは?となるとまだ素材の表面の話で止まっていますね。(スイスでのクラフトマンシップについて『建築雑誌 2026年4月号(特集:建築学生と就活の現在形)』で少し説明しています。)
僕なりに村山さんの言葉をさらに考えてみると、それは«時間軸をも超えた建築の本質的なあり方»と深く関わってくるように思います。
ドイツ語ではSein(ザイン・在り方)とSchein(シャイン・見え方)という対で用いられる言葉があります。
これを今回の文脈で建築的に解釈すれば、その仕上げは「最終的に表れてきているものや、それによる認識体験を扱っているのか(Schein)?」それとも「建築の在り方そのものを抽象的、哲学的に定義しているのか(Sein)?」という問いに行き着きます。
例えば、ル・コルビュジエの計画した建築を見ていくと、白いキューブで近代建築の五原則を唱えている時代はSein(在り方)。一方でロンシャンの教会やチャンディガールの建築群などの活動後期に計画したものはSchein(表れ方)と解釈できると思います。多くの建築家は、この「SeinとSchein」の両方を考えながら、もっとざっくり言ってしまえば「抽象な思考と具体的な事柄」に対峙しているのではないでしょうか?
ではSeinでいうところの「建築の在り方を定義するってどういうこと?」と思われるかもしれません。
村山さんの青森県立美術館で言うところの白く塗られた煉瓦は、きっと「表れ方」ではなく、実は「在り方」なんでしょうね。見た目の変化が少なかった版築風吹付仕上げではなく、時間が経って風化してきた白い煉瓦が、時間そのものを飲み込んで、かつての在り方をも変化させているような気もします。こういうのを見ると、当初の在り方は時間と共に変化しても良い。という風に考えても良いのだろうと思えてきました。








