
アーキテクチャーフォト編集長の後藤連平さんから断続的にやっている自邸の改修が面白そうなので連載を書いてみませんか、と言われたのは渡辺事務所修行記(川の向こう側で建築を学ぶ日々)の連載が終盤に差し掛かったころだった。
小さな、部分的な改変が面白いので、部分に着目して一回ずつを構成していくのはどうか、という編集長の意図がまずあった。前回も感じたが、連載を数年に渡って書かせてもらうというのはとても得難い経験で、その時その時自分が考えていることをそのまま書くと、振り返って見た時に、こういう反応があったとか、自分の思考もこうだったんだとか、切り口やテーマが連続するからこそ見えてくる時間軸上の差異が分かりやすい。
今回、テーマは自邸の改修である。
前回のように他者の活動をレポートする、というよりもっと直接に自分の当事者性が現れるだろう。自らがクライアントであるというプライベートな条件だからこそ、この連載を通して、私性を超えてその社会的意義や建築の可能性を見出だせるような学びを自分にも期待している。
その学びに、時間と興味のある方は今回も数年間、お付き合いいただければと思います。
外構と玄関周りの改修 / 庭のように家が動くには
ずいぶんと筆が止まってしまったが、ようやく2回目を書き始められる。1回目のエッセイ「少しずつ建てる、広々と住まう、ゆっくり考える」から3年も経ってしまったが、このエッセイ自体もゆっくり進めているということでご理解ください。
初回は、この家に住み始めた経緯と、少しずつ家をつくる理由として①住宅ローン、②成熟社会の余剰、③動きとしての建築、④広々と住まうという4つのトピックを挙げ導入とした。今回からは具体的にどのように改修が進んでいったかを時系列になるべく沿って説明していきたい。
住み始めたのは2018年で、最初は二階を事務所スペースとすべく間仕切り壁を解体したところから始まった。※1
その後住みながら家具を移動したり襖を外したり自分たちでできることは自分たちで行いながら少しずつ家が動き始めた。時系列で手を入れた箇所をまとめると下記のようになる。

黄色の網掛けの部分はDIYではなく大工さんや業者さんに工事を任せた部分だ。自分も現代技術の発達と木造の大工技術の蓄積の恩恵にあやかり、インパクトドライバや丸鋸、釘抜き程度であれば少しは使えるので、小規模な解体や棚程度であればつくれるが、自分より大きな構築物やコンクリートや金属相手になると自分の施工技術の範疇をはるかに超えるので、入居した初期の門扉とカーポートの解体は業者さんに任せることになった。
※1 自邸があるこのエリアは開発が抑制される市街化調整区域で、兼用事務所利用には用途制限があるものの、市街化調整区域に指定される前から宅地であった土地である「線引前宅地」にあたり、浜松市では線引前宅地では第2種低層住居専用地域に建築できる用途(延べ床面積の1/2以上を居住用の用に供した50㎡以下の事務所・工房)は認められており、その条件に則った工房付き事務所兼住宅として2023年に都市計画法上の用途変更を行った。
門扉はコンクリートの塀とゴロゴロと引くタイプのゲートでできていて、祖父や祖母が毎朝晩開け締めしていた記憶がかすかにある。カーポートはおそらくアルミ形材の構造にポリカーボネートの半透明の面材で構成される、片持ち柱の屋根だった。二世帯で住んでいた私の父の車が停められていた場所である。思い返せば、住み始めてから、車で毎日道路から出入りするときに門扉とカーポートが気になっていたのだと思う。ここからここは自分の敷地ですと表明して得られる安全性と、雨に濡れたくないという合理性よりも、立派な庭をすっきりさせたいという思いも勝ったのだろう。
結果的に、ここから、40年弱かけて段階的に家の外側に纏わりついたごく小規模な構築物(倉庫や物干し屋根、バルコニー、塀等)をとにかく減築していくことになるのだが、その最初が道路側の入口に位置する門扉とカーポートであった。
ただ、その後の減築はこのタイミングでは想定しておらず、完全に見切り発車で自邸を動かす行為がスタートした。













